自己肯定感が低いのはなぜ?自分に厳しい言葉が浮かぶ、その手前で

自分らしさを守る

この記事でわかること

・自分に厳しい言葉が浮かぶ、その手前にあるもの
・過去の経験と、今の環境の両方を見る視点
・原因探しが、もう一つの反省会になるとき
・自分を決めつける前に、その日の事情を残すこと

「助かりました」仕事でそう言われたとき、すぐに「いえ、全然です」と返してしまう。相手はお礼を言ってくれただけなのに、こちらは、自分がたいしたことをしていない理由を探している。

その日の帰り道、少し気になります。どうして、あんなに急いで打ち消したのだろう。一方で、昼間に指摘された小さなミスのことは、まだよく覚えている。褒め言葉は素通りしていくのに、厳しい言葉には、ずいぶん長く居場所を用意している。

「自己肯定感が低いから」そう説明すると、ひとまず話がまとまります。でも、その言葉で自分を分類したあと、何かがわかったようで、まだ何もわかっていない気もするのです。

今日は、自分をどう評価するかという話を、少し手前から眺めてみたいと思います。「自分はだめだ」という言葉が浮かぶ前に、何があったのか。その小さな順番についてです。

「私には無理」が、すぐに出てくる

何かを頼まれたとき、内容をよく聞く前から「私には難しいと思います」と答えてしまうことがあります。慎重に考えた結果のこともあるでしょう。本当に、自分の仕事の範囲を超えている場合もあります。

ただ、あとから振り返ると、何が難しいのかをまだ確かめていなかった、と気づく場面もあります。失敗したら気まずい。期待されて、応えられなかったら困る。そんな心配が、具体的な作業より先に頭へ浮かんでいたのかもしれません。

ぼくは、この順番が少し気になります。「できないことがわかった」のか。それとも、「できなかったときのことが怖くなった」のか。同じ「無理です」という言葉でも、その手前にあるものは、違うことがありそうです。

いつから、その物差しを使っていたのだろう

テストの点数がよかったときに、うれしそうにしてもらえた。誰かと比べられて、言い返せなかった。昔のそんな場面を、ふと思い出すことがあります。

認められたときのうれしさと、認められなかったときの寂しさ。何かをうまくできることと、自分がここにいていいと思えることが、いつの間にか結びついていた人もいるでしょう。

ただ、似た経験をした人が、みんな同じ感じ方になるわけではありません。思い出せる出来事が、そのまま唯一の原因になるとも言い切れません。家族、学校、友人との関係。その後に出会った人や、過ごしてきた場所。いくつもの経験が重なっているのかもしれません。

だから、思い出の中から答えを一つ探し出すより、今の自分がどんな物差しを使っているのかを考えてみたいのです。「誰かよりできなければ意味がない」その決まりを、今も自分は使っているのだろうか、と。

昔の話だけでは、説明できない日もある

しばらく忘れていた自信のなさが、ある職場に移ってから強くなることもあるでしょう。何をしても、次の不足を指摘される。質問するとため息をつかれる。帰宅しても、仕事の連絡が気になる。

そんな環境で過ごしているときに、「もっと自分を肯定しよう」という話だけをしても、何かが抜け落ちてしまう気がします。自分の内側にある考え方と、今いる場所で実際に起きていること。その両方を見る必要がありそうです。

英国の公的医療サービスNHSも、自己肯定感の背景として、子ども時代の周囲からのメッセージだけでなく、ストレスや大きな生活上の出来事などを挙げています。過去をたどるだけでは、今の負担を見落としてしまうこともあるのでしょう。

誰といるときに、自分の言葉が小さくなるのか。どんな場面では、比較的落ち着いて話せるのか。「私はいつも自信がない」という説明を、少し具体的にしてみると、見えるものが変わるかもしれません。

原因を探して、もう一度自分を責めてしまう

理由がわかると、少し腑に落ちることがあります。ずっと性格のせいだと思っていたことが、これまでの経験とつながって見える。そういう時間には、意味があると思います。

でも、調べ続けるうちに、別の反省会が始まることもあります。「あのとき、もっと言い返していれば」「どうして、いまだに気にしているんだろう」原因を探していたはずなのに、昔の自分にまで、今の自分が厳しい言葉を向けている。

何があったのかを考えることと、そのときどう振る舞えたはずかを責め続けること。似て見えても、少し違う時間なのでしょう。

つらかった出来事に、急いで別の意味をつけようとは思いません。相手にも事情があった、と納得することを、この記事の結論にするつもりもありません。まだわからない部分がある。その状態で、今日の生活について考えることもできるのだと思います。

「自分はだめだ」の前に、何があったのか

たとえば、一通のメールに返事をするのに、ずいぶん時間がかかった日。「こんなことにも時間がかかる」と思うと、それだけで自分についての話が終わってしまいます。

少し手前へ戻ると、相手の質問が曖昧だった。確認する人が席を外していた。午前中から、別の対応が続いていた。そうした事情が出てくるかもしれません。

もちろん、単に返事を後回しにしていた場合もあるでしょう。いつも、自分に都合のいい理由が見つかるわけではありません。それでも、何が起きていたかを確かめることと、「自分はだめだ」という一言で片づけることは、同じではない気がします。

「返事に時間がかかった」「間違えるのが気になって、何度も読み返した」もし書くなら、そんなふうに出来事と気持ちを残してみる。立派な教訓にしなくても、その日の様子は少し詳しくなります。

褒められた記憶が、あまりないという話

以前、相談に来てくれた方が、「昔から親に褒められた記憶がほとんどなくて、今でも自分に自信が持てません」と話してくれました。

その方には、今日できたことを一つ、書き留めてみることを提案したことがあります。最初は何も思い浮かばなかったそうですが、続けるうちに、「小さなことでも、できたことに気づけるようになった気がします」と話してくれました。

この話から、褒められなかった経験がすべての原因だった、と結論づけることはできません。記録をすれば同じ変化が起きる、とも言えないでしょう。ただ、その方には、自分を見るときに拾えるものが、少し増えた感触があったのだと思います。

できなかったことだけでなく、できたことも。そのとき疲れていたことも、気にかけていたことも。自分についての説明が、ひとつの評価だけで終わらなくなる。ぼくは、その違いに惹かれます。

性格のひと言に、まとめる前に

自分に自信がない。人の目が気になる。失敗したことを引きずる。そういう言葉は、今の自分を説明するときに便利です。でも、便利な言葉ほど、その先を見なくなることもありそうです。

同じ人でも、相手や場所によって、話し方は少し変わります。昨日は気にならなかった一言が、今日は妙に残ることもある。いつも同じ性格が、同じ反応をしているだけではないのでしょう。

「なぜ私はこうなのか」その大きな問いの隣に、「今日は、何があったのか」という小さな問いを置いてみる。すぐに理由はわからなくても、そこには、自分を決めつける言葉とは違う続きがありそうです。

今日のDrop

最近、自分に向けて「いつもこうだ」と思った場面はありましたか。その「いつも」の中には、どんな出来事が入っているでしょう。

一つの場面を思い出してみると、その日の事情や、まだ言葉にしていなかった気持ちも見えてくるかもしれません。答えを急ぐより、何をひとまとめにしていたのかが、少し気になります。

よくある質問

自己肯定感が低い原因は、子どもの頃の経験ですか?

子ども時代の経験が関わる場合はありますが、それだけで一人ひとりの理由が決まるわけではありません。今の人間関係やストレス、生活上の出来事なども含めて考えられます。記事の場面に当てはまることがあっても、それだけで自分の原因を特定したとは扱わないようにしたいところです。

原因がわからないと、何も変えられませんか?

過去の理由がはっきりしなくても、今どんな場面が負担になっているかを考えることはできます。仕事の分担を相談する、気がかりなことを人に話すなど、現在の状況から考えられる選択肢もあります。原因を一つに決めることだけが、出発点ではないのでしょう。

振り返っていると、かえってつらくなります。

この記事は、過去を詳しく思い出したり、毎日書き続けたりすることを前提にしていません。振り返る時間を短くする、途中で閉じる、今の生活に目を向けるなど、扱う範囲を変えることも考えられます。つらさが続き、生活に支障が出ているときは、一人で原因を探し続けず、医療機関や心理の専門家に相談する選択肢もあります。

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