「何のために学ぶんだろう」と思った夜に

思考を整える

この記事でわかること

・「役に立つこと」ばかり考えてしまう
・学びには、いくつかの顔がある
・何も学びたいと思えない時期もある
・学んだことより、心に残ったこと

夜、ようやく自分の時間になったころ。スマホで何かを調べていると、「これからの時代に必要なスキル」とか「大人の学び直し」といった言葉が目に入る。ちょっと気になって開いてみる。資格の講座。おすすめの本。新しい技術の解説動画。どれも役に立ちそうだし、知らないままでいるのも不安になる。でも、ひととおり眺めたあと、なんだか疲れてしまうことはありませんか。まだ何も学んでいないのに。

私は、この感覚が少し気になっています。学ぶことは、本来、自分の世界を広げてくれるもののはず。それなのに、いつから「足りない自分」を埋めるためのものになったんだろう、と。

「役に立つこと」ばかり考えてしまう

仕事のために新しい知識を身につける。将来に備えて資格を取る。もちろん、どちらも大切な学びです。生活のために必要な勉強だってあります。ただ、何かを学ぼうとするたびに「それは何の役に立つの?」と考えていると、少し息苦しくなることがあります。

せっかく本を読んでも、仕事に活かせなければ意味がない気がする。勉強を始めても、目に見える成果が出ないと焦る。そのうち、興味があって始めたことまで、終わらせなければならない課題に変わってしまう。学ぶことにも、成績表がついて回る。そんな感じでしょうか。

子どものころは、もう少し違っていた気がします。空はどうして青いのか。アリはどこへ向かって歩いているのか。知ったところで、すぐに何かができるようになるわけではない。それでも気になる。あのころの「知りたい」は、ずいぶん身軽だったように思います。

学びには、いくつかの顔がある

学びというと、机に向かって知識を増やす姿を思い浮かべがちです。でも、少し広く眺めると、学ぶことにはいろいろな形があります。

たとえば、知ること。道端に咲いている植物の名前を調べる。すると、昨日までただの草花だったものが、少し違って見える。同じ道を歩いているのに、見えるものがひとつ増えている。それだけのことが、案外うれしかったりします。

次に、やってみること。初めての料理を作る。文章を書いてみる。何かを直してみる。思ったほど上手にできない日もあるけれど、実際に手を動かして初めて気づくことがある。知識が、少しずつ自分の経験になっていく時間です。

そして、誰かと関わること。自分とはまったく違う考え方の人と話して、「そんな見方があったのか」と驚く。相手を理解することも、自分の考えを見直すことも、ひとつの学びなのだと思います。

もうひとつ。自分自身を知ること。どんなことに惹かれるのか。何をしていると時間を忘れるのか。逆に、どんな場所では疲れてしまうのか。

年齢を重ねるにつれて、その答えが変わることもあります。昔は好きだったものに興味がなくなったり、思いがけないことが面白くなったり。自分のことなのに、まだ知らない部分がある。私は、この最後の学びが、わりと好きです。

勉強が続かなかった人の話

以前、相談に来てくれた方がいました。将来への不安から、何度も資格の勉強を始めては、途中で続かなくなってしまう。そんなことを繰り返していたそうです。

資格を取れば安心できる気がする。でも、勉強が続かない。続かない自分を見て、また不安になる。その繰り返し。

あるとき、その方は「何が役に立つか」ではなく、「自分は何を面白いと感じるのだろう」と考えるようになったそうです。もともと興味のあった歴史や心理について、少しずつ調べ始めた。すると、以前ほど勉強が苦しくなくなり、自然に続けられるようになったと話してくれました。

もちろん、興味のあることなら何でも続く、という単純な話ではないのでしょう。資格が必要な事情も、仕事の忙しさも、人それぞれです。

ただ、その話を聞いて、ひとつ印象に残ったことがあります。勉強する内容を変えたこと以上に、自分に向ける問いが変わっていたこと。「何を身につけなければならないか」から、「何を知りたいのか」へ。ほんの少しの違いですが、そこには大きな距離があるように感じます。

何も学びたいと思えない時期もある

ここまで書いておいて、少し別のことも気になりました。そもそも、何かを学びたいという気持ちが、まったく湧いてこない日もありますよね。

仕事から帰って、夕飯を食べて、洗い物を終える。気づいたら、もう寝る時間。新しい本を開く気力なんて、どこにも残っていない。

そういう日まで「興味のあることを探そう」と言われたら、私なら少し困ってしまいそうです。学びを豊かにする話が、また別の宿題になってしまうから。

いまは目の前の生活で精いっぱい。そんな時期も、たぶんあるのだと思います。知りたいことが浮かぶまでの時間も、人によって違うのでしょう。何かに夢中になっている人を見ると、少しまぶしく感じることもありますが。

学んだことより、心に残ったこと

本を読んだあと、内容をあまり覚えていないことがあります。何ページ読んだのかも曖昧。でも、不思議とひとつの言葉だけが残っている。あるいは、読んだ内容とは直接関係のない、昔の出来事を思い出すこともあります。

そういうとき、私は「何を覚えたか」と同じくらい、「なぜそこが気になったんだろう」という問いが面白いと思うのです。新しい知識が増えたこと。誰かの考えに触れたこと。自分の意外な好みに気づいたこと。

どれも、すぐに成果として数えられるものではありません。でも、あとになって振り返ると、そういう小さな発見が、自分の考え方を少しずつつくっていたりします。

もし何かを書き残すなら、覚えた知識をきれいにまとめることよりも、まずはそのとき引っかかった言葉をひとつ。「この話、なんだか好きだった」それだけでも、その日の自分に近い記録になるのかもしれません。

今日のDrop

最近、「役に立つかどうか」とは関係なく、ちょっと気になったことはあったでしょうか。読んだ本の一節。散歩の途中で見かけたもの。誰かとの何気ない会話。

すぐには思い浮かばないかもしれません。それでも、こうして問いを残しておくと、いつかふと思い出すことがありそうです。

学ぶことは、何か別の自分になるためだけの時間ではない。いまの自分が何を面白がり、何に立ち止まるのか。それを知っていく時間でもあるのでしょう。

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